なら一本道でいいやって最近思うようになってきた
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1326473898/l50
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「自由度」って言葉に夢見過ぎなんじゃないのかな。
何のストーリーも用意されていない、全く自由にできるオープンワールドがあったとして、
それで楽しいか?って話だよ。
そうなると、見つけた先々の街で何らかのイベントが用意されている方が良い、って事になる。
でも基本それらのお話って、「何か倒してきて欲しい」「誰かを助け出してほしい」
「何かを見つけてきて欲しい」「あそこに行って様子を見てきて欲しい」みたいなお使いになるさ。
そもそもこの問題は、自由度の意味を勘違いしてる事から起きてる
OWの自由度とゲーム本来の自由度とは別物
ゲーム本来の自由度とはプレイングの事
ゲームではプレイヤーは与えられたカードの中から好きなプレイングを自由に選択できる
それが本来自由度と言っていたもので
OWの自由度というのは単にできる事をいっぱい作っただけ
ゲーム的な自由度はむしろ低いまま
本来的なゲームの自由度を作っていればお使いには絶対ならない
すまないが、違いが今一つ理解できない。
与えられたカードの中の選択が、「本来自由度」になる意味がよく分からない。
「できる事がいっぱい」と「与えられた中で選択」だと前者の方が自由度高そうに思える。
キモなのは「プレイングを自由」という所なのかな?
例えばどういうものを言っているのだろうか・・?
プレイングというのは、そのプレイヤーだったらどんな行動・選択をとるか?
だから、プレイングというのはプレイヤー毎に異なる
異なって当たり前
だからゲームというのはそれを許容しなければ成り立たない
許容されていなければ、プレイヤーはみんな一様に同じ行動しかとれないという事になる
これが自由度の事
プレイングはプレイヤー毎に異なるけどゴールへと駒を進めるのに必要な条件はルールで決まっていて
プレイヤーはどんなプレイングをすればゴール地点まで進めるのか?
遊具や遊び場があれば自分たちで幾らでもゲームができるじゃん
効率ばっか考えてるから自分でモノを考えられなくなるんだよ
実際日本のゲームだって隅々まで遊んで極めて開発すら驚く遊びを考えてるのは海外のゲーマーばかりだぞ
ゲーム=ルールが細部までしっかりした遊びです
ルールからはみ出す=ルールの不備
それこそガッチガチにルールで固められたものがちゃんとしたゲーム
テニスやってて、途中で球もって別の事しだしたら感心するのか?っていう
考案者や審判の予期しない動作ができてしまう=ルールの不備
ルールの不備はすぐに対応される
どちらかというと自分でものを考えないからルールがきちんと作られてないのに遊べるのだと思いますけど
ゲームだと思ってればこっちが球を投げたら、向こうから球が返って来るのをずっと待ってる訳だけど
そんなの気にしないで考える必要ないんだから
そりゃ壊れたラケットだってそれをいろいろに使って遊ぶ事は出来るけど
園児が木の枝や石ころ拾って来て自由に発想して遊ぶのと同列ではないかな
そういうのを求めてる訳じゃないでしょ
一人で砂場で遊ぶのとゲームとは違うから
審判とかルールを作る人といった人もプレイヤーに含んで良い
グリッチを見つけるのはゲームの楽しみの一つ
いや、そういうのはゲームマスターとして区別はすべき
で、俺はゲームマスターとプレイヤーをひっくるめて「ユーザー」と考えている
型破りと形無しの違いだな
それは形無しの方
終わりを定めない遊びであって、
映画のように完成されたストーリーをきっちり描き切るという事を目指していない
そのTRPGの再現を目指したMMORPGにおいて、自由度がある代わりに
お使いに例えられるような淡々としたクエストが続くばかりだったとしても、
そもそもRPGはそういうものとしか言えないのではないか
もともとのTRPGは目的がはっきりしていて
それを達成する事を結末とした遊びだよ
今は話を続ける事の方が目的化してるけどね
最終目的に対して、必要な作業をしてそのための条件をすべてそろえるのにはこれが必要だってやればお使いにはならない
目的は分からないけど次は○○をやりなさいその次は○○をやりなさいってやるからお使いになる
OWのお使いは
ここへ行け→次は何をやれ→次はどこへ行け
ストーリーをなぞる
ここへ行け→次は何をやれ→次はどこへ行け
どっちも同じ
あっちは和RPGは幼稚だから洋RPGのほうがいいねってスレ
方向性が反対なんだよ
あと前スレを先に使え
今の和RPGもお使い
だからストーリーなぞるかお使いしかないという
次はこれが必要だここへ行きなさい
次はこれをやりなさい
っていうのがお使い
で、もう一つのストーリーっていうのは
シナリオをたどると感動的なストーリーが展開される事
・盗みをできる
・破壊行動ができる
・人を殴って倒す事ができる
このリストの多さが自由度だ
って理屈
「ゲーム本来の自由度」
今行ける場所は東西南北
北には城が見える
南には洞窟が見える
東には広い先が見えない草原が見える
西には未知の施設が見える
プレイヤーは好きな場所へ行ける
それぞれの場所は何らかの意味を持っている
触れられるものは好きなものをいじれる
それらいじれる物全てが与えられたカード
いける場所だったら隅々まで行ける、そこで見つけたものに与えられたものについての探究をできる
それが自由度だって理屈
>>「ゲーム本来の自由度」
それただマップが広ければいいってだけに聞こえるな。
触れるものが多いのも、マップが広いのも、容量と開発コストが許す限りの範囲なら
それなりに増やせそうだ。
ただ、それが楽しさに繋がるかは別問題。
どちらかというと反対に、狭い中を作りこむのがゲーム本来の自由度で
広ければいいのが今の自由度につながる発想では
閉じ込められた部屋の中で
鍵のかかった扉
高い場所に窓がついている
背の低いテーブル
テーブルに置かれた電話
隅々まで調べられて、それらはその部屋から外へ出るための札
どの札を切れば外へ出られるのだろうか?
と言ったら部屋を隅々までいじり倒すとちゃんと出れる
目ぼしいものはたいていいじれたり何らかの個別の反応が返って来る
こういう環境下で感じられる自由度
今の自由度っていうのは広い範囲を作っていて
この建物にも行っていい、こっちの建物にも行っていい
好きな場所へ行っていい
ただ各場所に置かれた物は繊細には作られていない
扉とかもいっぱい出て来るけど攻撃すると壊れるって動作をするだけ
テーブルや家具もいっぱい出て来るけどそれらも殴ると壊れる
地面に紐が落ちてるけどただの背景の小物で触れられない
出来る事リスト
Questリスト
行ける場所リスト
並べている
本来自由度とはゲーム全般に存在して然り
プレイヤーのプレイング権の事
次のプレイヤーのターンでのプレイヤーのプレイングは何ですか?
その選択可能範囲の事
プレイヤーは東西南北に進めますどこへ行きますか?
選択はジャッジによって判定される
それはゲームすべての基本構造で
それが今のゲームにはいないと
でもその説明のために自由度がないというと
今の人間たちに想像されるのがOWのような自由の事
だからずれている
2の街ではBはCという場所にあるらしい
3の街ではCはここから北の方角にある
こういうのをストーリー上の明確な指示されることなくプレイヤーが繋ぎ合わせて進めていくのがいい
出題者の求める解き方を回答者が出来る範囲の事から見つけ出す
今ゲームと呼んでるものはそうなっていない
お使い
次はこれをやりなさい、ここに行きなさい
するとストーリーが進む
主にストーリーを見る
こういうものをゲームだと勘違いしてるけど
こういうのはゲームではない
一本道の一問一答でしかない逆裁シリーズのほうがJRPGより没入感もゲームしてる感もあるのはそのためだな
プレイヤーの行動によって分岐するものでも一度進んだ道を引き返さないものは一本道
次はここ行って、次はここ行って、次はここ行って
って筋をたどってるような体感
次はこの選択をして、次はこの選択をして、次はこの選択を
筋をたどってるだけのような、決して引き返さない
一本道ではないっていうのは、「引き返し」が存在する
引き返しがないものはただ直線的に進み続ける
右へ行ってみたけど、進めなかったので戻って左の道へ進んだ
森を探してみたけど何もなかったので引き返して草原を探索してみる
こういうのは引き返し
分岐出来ても一本道のものは引き返さないので、以下のようになる
左右どちらへ行っても次に進む
次は右へ行こう、次は左へ行こう、その次は左へ進もう
選択により分岐するようには作られているけど、実際の内容は一本道を直進するだけ
一本道っていうのは進んだ道が全て一筆書きでつながる
一本道ではないものは進んだ経緯が一筆書きでは書けない
君の意見がスレの総意ということでよろしいのか?