末期にぷよぷよを排出したね
闇500円書き換え屋で新作に書き換えて色々遊んだけど
闇じゃねーよ公式の機器だ
闇書き換え屋も有ったんだよ
公式書き換え始まって無い新作も書き換え出来た
懐かしい、PCゲーのレンタル屋といいやりたい放題の時代だったな。
コナミもゲーム沢山出してたな
電池か別売りACアダプタだったな
あれなんでだ?
ACアダプタ売ればいいだけなのになぜ電池使えるようにした?
周辺機器出しまくるとメガドラタワーみたくなるの見越してたんじゃね
タコ足配線危ないし
シャープのツインファミコンの事かな
俺黒いの買ったぞ
大人の今より金持ってたなあ
懐かしい
音響カプラな
あと子供ながらに扱ってるとすぐぶっ壊れるからクリアできなかったゲーム多い
随分昔のことでうろ覚えだけど俺も書き換えはした記憶ないな
おもちゃ屋にはだいたいあったけど、パッケで買った記憶しかない
やっぱり書き換えしたら前のゲームが消えると言うのは
何か損した気になるからなあ
でも、今持ってるゲームを中古で売って他のゲームを買うってのを
やってる人も結構居るから、それと似たようなもんだと思えば安いもんかもしれない
自分は全くさわったこともプレイしたことも話題にしたこともない
でも今客観的に観ると結構当時としては画期的なんじゃないか
500円でソフトが購入出来て、ラインナップもゼルダやマリオやメトロイドがある、と
今ほど任天堂コンテンツの重要さが浸透してなかったせいもあるんかな
今でいうダウンロード販売のご先祖みたいな所があるね
余談だがSFC後期に任天堂パワーとか言ってSFCとGBでも書き換えできるシステムがあったのだが
やってた期間が短いため知名度が低く、出回ってる書き換えカセットも少ない
トラキア776とかWiz123とか
ニンテンドーパワーでしか遊べないゲームで
評判いいのもあったけどね
ローソンで書き換え出来るやつ持ってた
デカイROMが刺さってたよ
ネオジオのカセットぐらいの
本体に機器を追加していく仕組みは
PCエンジンがその後も暫くやってたけど
理解されない時代になっていったと思う
SFCのCD-ROMがもし出てもあんまり売れなかったかもな
マリオ3はカートリッジで出ますってことで終わったなって
ディスクシステムで頑張ってたスクウェアは任天堂と蜜月の時代だった
て言うか、スクウェアの得意はやはりRPGやアドベンチャーだから、セーブが出来ないROMカセット
では持ち味が生きなかったんだよね。セーブが出来る様になった事でPCゲーム端の会社が
参入しやすくなったと言う事で、それらの窓口的な集まりで『DOG』ブランドが出来た。
ハード自体は短命に終わったけど、セーブ機能を使って何日も時間をかけてクリアに至る作品を
CS機でも普通のものにさせてくれた功績は大きい。バッテリーやメモリバックアップが出来るまでは
パスワードだったから、ゲームを始める/終わるに時間がかかってたからね。
悪魔城ドラキュラのほか、神宮寺三郎、SDガンダムワールド、 ぼくってウパなど、ここから
生まれて今も続いているIPもあるね。
あれは当時すでに「第一作にしてこの作品!任天堂の開発力を世に知らしめた」
ってゲーム雑誌の編集者が絶賛してた
64DDは残念だった
64は最初からDDを採用してればなあ
容量64MBだからスタフォの5倍、ゼルダ時オカの2倍
今まで任天堂が作ってこなかったジャンルなのにハズレがなかった
ふぁみこんむかしばなし
マジで面白かったよね
スクエアもDOGとかいって連合組んでたし
ぶっちゃけ、パスワードでは保存ステータスに限りがありすぎて、それで面白いRPGやAVGを作るには
相当なセンスが必要で、それもバッテリーが出来るまではディスクが使われた理由なのよね。
具体的にはDQ1は、再開出来る場所は城一択。再開時はHP、MPは最大値。宝箱や扉も元に戻る。
…なので、進むコースも①城から北西、②北東→南東に右回り、③南西に左回り。④また南東に
右回り。…と、城中心にグルグル遠回りさせてるし、村でセーブ出来ないからダンジョンは
城から行ける位置にしてる。堀井さん、考えるの大変だったと思う。
PCゲーの会社から見れば、こんなのは不自由すぎてRPGなんてとてもと思われたのも仕方ない。
実際FFは初代からバッテリーだし。
ドラクエⅢも、最初はパスワードにする予定だったんだけど
800~1000文字にもなるから諦めた、という経緯があるw
DQ2の時点で厳しかったからなぁ
予定だったのが無理がある気が
当初の予想より使えるデータ量が多くなったから、
途中で方針を変えたってんなら解る
凄い制限の中であれを作ったと思うとやっぱすごいな
末期はただだけど1枚の紙になってダメ
コピー問題で寿命縮んだんだろな
薄利多売ってこともあるから在庫の関係で大量生産にリスクが伴うROMカセットとは違うビジネスモデルの形成を目指したのかと
それにディスクシステム発売当時は大容量ROMは高価で生産数も多くなかったと言う背景もあるね
コピーに関してはそういう機器が存在してたのは事実だけど専用機器が必要だったりそもそもクィックディスク自体が
一般に流通してなかったからコピーによるダメージ自体はPCソフトのコピー問題より遙かに小さいし
どっちかって言うとROMの大容量化が想定以上に早かった事の方がハード寿命を縮めた要因としては大きいかと
当時触れてたなら2,3年でも十分すぎる長さだけど
その間あまり触れる機会がなかったら盛り上がりもなかったように感じちゃうのかもな
引用元: ・ ディスクシステムの時代ってまったく語られないけど、どうだったの?

ツインファミコンって、めっさカッコいいネーミング(ΦωΦ)